名古屋リーマンブログ

人のフリ見て微調整。リーマンウェブログ

夏の甲子園、愛知県代表他の侍(ツワモノ)たち、勢いついちゃって第2弾!

 

前回(はてなのお題)書き終ってからも思い出す思い出す(笑)。

www.758n.nagoya

調子に乗って過去の猛者達を記憶の許すかぎりご紹介、懐かしんで貰えたら嬉しいです。

大府高校の槇原投手

 

前回、なぜかこの有名人のこと忘れてました。大府高校は県立高校です。夏の愛知県予選を勝ち上がるなんて、私学がはびこる当時としては異例中の異例でした。特に愛知県は私学4強といって、名電、東邦、中京、享栄高校がダントツで強かった時代でした。野球はピッチャーで決まる。槇原投手の凄さがわかります。

 

甲子園では2回戦で敗退しています。確か相手は御坊商工高校だったかな?雨中で槇原は足元をすくわれた感じでした。卒業後は、巨人に入団し輝かしい成績(パーフェクト、ノーヒットノーラン)やインパクト(バース、掛布、岡田にバックスクリーン3連発食らう)を残した巨人の大エースでした。

 

解説者としても賢い軽妙な感じでレベル高いです。FAの時だったかバラの花束で当時の長嶋監督に口説かれてたのが記憶にあります。なぜ中日は指名しなかったんだ!の数ある名選手のなかのお一人です。ちょっと前になるけど株で豪快に投資されてるのがテレビで放映されてました。気をつけてね。

 

享栄高校の藤王康晴と近藤真市

 

愛知県私学4強の一角、享栄高校のいずれも、甲子園に出場して、中日ドラゴンズ1位指名選手のスゴイ2人です。藤王の方が3学年先輩でなので、近藤投手とは被っていないはずです。

 

まず、藤王選手、1年から4番左打者で超高校級でした。甲子園で11打席連続出塁などで春の甲子園で名をあげました。準々決勝で敗れ去りましたが、さすが強い愛知県代表って感じでした。ただ、夏はいずれも中京高校の野中投手に立ちふさがれて甲子園出場できませんでした。ライバルでしたね。

 

なぜ印象に残っていたかというと、「藤王」って名前がインパクトありすぎ。王って、あの世界の王貞治しかしらねーよ。って感じで同じ左打者だし名前からはまっていったのを覚えてます。卒業後は、芳しい成績を残せなくて中日から日ハムに移籍して、今は家業を継がれたりしてるのかな?

 

で、近藤真市(真一)投手ですが、最初は真市でした。ググッたら1992年に改名されたみたい。理由は不明。左投手で体格もよく140km後半のストレートと名電の工藤(現ソフトバンク監督)ばりの大きく曲がるカーブで夏の甲子園で活躍してました。

 

投手としての素質も超高校級で騒がれていましたが、その鬼の般若のようなふてぶてしい面構えも超高校級でした。卒業する年のドラフトも盛り上がり、中日の星野監督が5球団の競合からクジで引き当てて中日ドラゴンズに鳴り物入りで入団されました。

 

そして1年目プロデビュー戦の対巨人にいきなり新人ながら初登板初先発して、しかもノーヒットノーランを達成してしまいました。その時の最後の打者はあの巧打者の篠塚でした。最後の球はカーブでボール気味でしたので篠塚は納得してなかったみたい。審判は近藤の鬼の形相の勢いに思わず三振コールって感じでした。

 

 

史上唯一の大記録でした。リアルタイムでテレビで観戦してました。近藤とは同い年で同学年だったので、衝撃を受けた覚えがあります。翌年も順調よく白星を重ねてったんですが、肩か肘の故障であえなく数年後現役引退されました。

 

今も中日ドラゴンズのピッチングコーチとして活躍されています。いずれにしても名古屋の中日ファンの人には忘れられない選手だったと思います。正直、高校のときの印象はあまりなくて、プロの時の印象が強すぎて記憶がかき消された感のあるスゴイ選手でした。

 

これからも若手育成に尽力してほしいと思います。ご子息も中日ドラゴンズの育成でがんばってみえます。今年1軍デビューされたみたいですね。親子で中日ドラゴンズに縁深いですね。

 

横浜高校の愛甲猛投手

 

最後は、横浜の愛甲猛(たけし)投手、甲子園のアイドル優勝投手です。あの早実の荒木投手にも投げ勝ちました。名前からも顔つきからも素行不良(暴走族、賭け事、女、タバコすべて網羅)からもマンガみたいな選手です。インパクト強すぎでした。

 

同じアイドル投手の早実の荒木が白なら横浜の愛甲は黒って感じでした。ユニホームの色と肌の色も愛甲は黒系でしたしね。当時の横浜高校の渡辺監督(あの松阪投手の恩師でもある)も更生させるのに相当苦労されたみたい。

 

ただ当時は今と違って素行不良的なことは報道されることはなく、本人は周囲の気持ちも知らずにのびのび野球に打ち込めたかも知れません。

 

卒業後はロッテに1位指名されて投手ではなくて打者として主軸を任されるまでになって活躍されました。当時はあの中日の監督だった落合に師事して、いろいろ打者として薫陶(くんとう)を受けたとのことです。その後中日にも入団して代打として活躍されました。落合と一緒で中日にも縁のある全国区の選手でした。

 

 

結び

ちょっと名監督に感謝。愛知私学4強といえば、名電の中村監督、享栄の柴垣監督、東邦の坂口監督、中京の杉浦監督です。名選手の影に名監督ありです。

 

愛知県予選で名勝負を繰り広げてくれました。全国的にみれば、池田の蔦監督、PL学園の中村監督、箕島の尾藤監督、常総学院(取手二)の木内監督、帝京の前田監督、横浜の渡辺監督、スラスラスラと名前があがってきます。当時は名将も非常に多い甲子園でした。懐かしいな~~。

 

以上、おしまい

Copyright © 2017 758n's ReBlog All rights reserved.